みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

本当におまえは、わが子エサウだね

ヤコブの手が、兄エサウの手のように毛深かったので、イサクには見分けがつかなかった。それでイサクは彼を祝福しようとして、「本当におまえは、わが子エサウだね」と言った。するとヤコブは答えた。「そうです。」(創世記27:23-24)

 

ヤコブは兄エサウから、一杯の食物と引き替えに「長子の権利」を奪い取った。

今度は、父イサクからの「祝福」を奪い取る。

もっともそれは、母リベカの入れ知恵であった。

 

「さあ、群れのところに行って、そこから最上の子やぎを二匹取って私のところに来なさい。私はそれで、あなたの父上の好きな、おいしい料理を作りましょう。あなたが父上のところに持って行けば、食べて、死ぬ前にあなたを祝福してくださるでしょう。」(9-10)

 

リベカの胸中には、二人を妊娠中に主から与えられた言葉があった。

 

すると主は彼女に言われた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25:23)

 

さらにもう一つ、この事件の背景として、両親の兄弟に対する愛情が異なっていたことがある。

 

イサクはエサウを愛していた。猟の獲物を好んでいたからである。しかし、リベカはヤコブを愛していた。(創世記25:28)

 

結局ヤコブはまんまと父親をだまし、エサウに向けられるはずだった「祝福」を奪い取った。

だまされたと知ったときの、イサクとエサウはどうだったか。

 

イサクは激しく身震いして言った。「では、いったい、あれはだれだったのか。」(33)

 

エサウは父のことばを聞くと、声の限りに激しく泣き叫び、父に言った。「お父さん、私を祝福してください。私も。」(34)

 

父の祝福のことばがいかに重いものであったか、現代の日本人であるわれわれにはピンと来ない。

ただ、とてつもなく重大な事であったのはよくわかる。

 

そして主は、人間のこのような権謀術数や愛憎すらご自身の計画に反映させることができるということも、よくわかる。

 

一人の人、すなわち私たちのイサクによって身ごもったリベカの場合もそうです。その子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行わないうちに、選びによる神のご計画が、行いによるのではなく、召してくださる方によって進められるために、「兄が弟に仕える」と彼女に告げられました。「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書かれているとおりです。・・・ですから、これは人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。(ローマ9:10-13・16)

 

 

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