事の善悪を論じないようにしなさい
神は夜、夢でアラム人ラバンに現れて仰せられた。「あなたは気をつけて、ヤコブと事の善悪を論じないようにしなさい。」(創世記31:24)
20年にわたってラバンに仕えたヤコブに、主が現れた。
主はヤコブに言われた。「あなたが生まれた、あなたの父たちの国に帰りなさい。わたしは、あなたとともにいる。」(3)
「わたしは、あなたとともにいる」、これ以上励まされる言葉はほかにない。
主の言葉をラケルとレアに告げる。
ラケルとレアは答えた。「・・・さあ、神があなたにお告げになったことを、すべてなさってください。」(14・16)
父ラバンは偶像崇拝者だったが、二人は出産やヤコブとの生活をとおしてまことの神を知るようになった。
この言葉に、二人の信仰の成長を見ることができる。
ヤコブは、一族と家畜、財産を率いて、ラバンに黙って旅立つ。
気づいたラバンが大急ぎで後を追い、追いついたときに、夢で神から語られた言葉が冒頭のものだ。
神は、「事の善悪を論じないように」と言われた。
なぜなら、このことは神から出ているからだ。
神から出ていることに対して、良い悪いを論じない。
この態度は、現代の信仰者にとっても、大切なものではないだろうか。
とかくわたしたちは、善悪を論じたがる傾向がある。
そして、たいていの場合、決着がつかない。
決着がつかないということは、ほんとうはそれほど重要なことではないのかもしれない。
アブラハムは、ロトに好きな地を選ばせ、自らは別の場所に住んだ。
イサクは、出て行けと言われるままに出て行き、争いがない場所まで移って行った。
ヤコブは、何度も不当な扱いを受けながら20年もラバンに仕えた。
どれも「おかしいじゃないか」と争ってよかったはずだが、信仰の祖先たちはそうしていない。
人類が罪に堕ちたのは、「善悪を知る知識の木」から食べたゆえだった。
神がほんとうに大切だとされることは何だろう。
そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。どうして、むしろ不正な行いを甘んじて受けないのですか。どうして、むしろ、だまし取られるままでいないのですか。(1コリント6:7)
割礼は取るに足りないこと、無割礼も取るに足りないことです。重要なのは神の命令を守ることです。(1コリント7:19)