私の息子イサクに妻を迎えなさい
「私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私はカナン人の間に住んではいるが、あなたは、その娘たちの中から、私の息子の妻を迎えてはならない。あなたは、私の国、私の親族のところに行って、私の息子イサクに妻を迎えなさい。」(創世記24:3-4)
24章は、「イサクの結婚」の記録である。
全部で67節と、創世記では最も長い。
解説には「世界で最も美しい結婚物語」とあるが、わたしもそう思う。
アブラハムは「家の最年長のしもべ」に、自分の国、自分の親族からイサクの妻を探して来るように命じる。
しもべは、もし娘がこちらに来たがらなければイサクをあちらに連れて行くのかと、問いただす。
アブラハムは彼に言った。「気をつけて、息子をそこへ連れて戻ることのないようにしなさい。・・・もし、その娘があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの、私との誓いから解かれる。ただ、私の息子をそこに連れて戻ることだけはしてはならない。」(6・8)
アブラハムは、その根拠として、神から与えられた約束をあげる。
「天の神、主は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫にこの地を与える』と誓われた。」(7)
この時点ではアブラハムは、大いに富んでいたとはいえ、寄留者であり、“よそ者”であった。
にもかかわらず、神の約束をしっかりとつかみ、この地がわれわれ子孫の地となる、それゆえイサクの妻をこの地に迎えるように、と指示した。
アブラハムの堅い信仰を見ることができる。
これ以降の、祈りつつ、神の導きを求めながら事を進めるしもべの信仰にも心打たれる。
「私の主人アブラハムの神、主よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。」(12)
さらに、娘リベカの信仰もすばらしい。
一連の出来事を通じて、彼女もまた神の導きと受けとめた。
しもべと出会ったその翌日には、愛する家族から離れて遠い地へと旅立ったのだ。
彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。(58)
最終節には、短いことばのなかに結婚の美しさが表れている。
イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。イサクは、母の亡き後、慰めを得た。(67)
このたびこの章を読んで、あらためて思った。
結婚とはこれほどに美しく、神の祝福と介在があり、尊いものなのだと。
一人ひとりが結婚の尊さを、聖書が示すように受け取ったなら、社会は大きく変わるにちがいない。
結婚がすべての人の間で尊ばれ、寝床が汚されることのないようにしなさい。神は、淫行を行う者と姦淫を行う者をさばかれるからです。(ヘブル13:4)