娘のラケルが羊を連れてやって来ます
ヤコブは彼らに尋ねた。「その人は元気ですか。」すると彼らは、「元気です。ほら、娘のラケルが羊を連れてやって来ます」と言った。(創世記29:6)
不思議な夢の後、ヤコブは東の国へ入った。
野の井戸で現地の人たちと言葉を交わす。
人々は、彼が後世に名を残す存在になるとは想像もしなかっただろう。
彼らが話しているちょうどそのとき、ラバンの娘ラケルが羊を連れてやって来た。
イサクの結婚でもそうだった。
アブラハムのしもべが井戸で祈ったときに、結婚相手となるリベカがやって来たのだった。
神の摂理と導きは、実に奇しい。
わたしも結婚をとおして経験したが、導かれるときというのは、重い扉がスッスッと開いていくようだ。
波に乗せられて運ばれるような感覚でもあった。
ただ、ヤコブの場合、ここからが長かった。
ラバンに何年も仕えることになる。
ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。(20)
おそらく、ヤコブの生涯でこの七年間がもっとも幸福であったろう。
生き生きと働くヤコブの姿が目に浮かぶようだ。
ところが、七年経って祝宴のあとに与えられたのは姉のレアだった。
ちょっとラバンはひどいなと思ってしまう。
結局、その後ラケルも与えられ、図らずもヤコブは二人の姉妹の夫となった。
ヤコブはこうして、ラケルのところにも入った。ヤコブは、レアよりもラケルを愛していた。それで、もう七年間ラバンに仕えた。主はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれたが、ラケルは不妊の女であった。(30-31)
さらに七年も仕えることになってヤコブは気の毒な気もするが、兄エサウの怒りが変わるにはそれくらいの年月が必要だったのだろう。
主は、嫌われているレアをあわれまれた。
サラの女奴隷ハガルのときもそうだったが、主は虐げられ傷ついている者に目を留めてくださる。
レアは四人の男子を産むが、三人目がレビだ。
「結ぶ」という意味だそうで、後々レビ族が神と人を結ぶ祭司となっていくのだから興味深い。
アブラハムもイサクもヤコブも、家庭生活においては苦労している。
現代のわたしたちにとって、慰めか、戒めか。
「彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。」(イザヤ42:2-3)