みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

なぜ、あなたは怒っているのか

主は、カインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。」(創世記4:6)

 

アダムとエバに子どもが生まれた。

カインとアベルだ。

二人が成長したとき、事件は起きた。

 

しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た。アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。主はアベルとそのささげ物に目を留められた。しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。(3-5)

 

ここでひとつ気づくのは、人類の祖にしてすでに神への「ささげ物」をしていたことだ。

神から要求されたわけでもなく、自発的にささげている。

わたしは何かをささげているだろうか?

 

神はカインではなく、アベルのささげ物を喜ばれた。

それは、アベルが神への愛と感謝の表れとしてささげたからだ。

 

信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。(ヘブル11:4)

 

このことで、カインは激しく怒った。

この「怒り」は、アベルにではなく、神に対する怒りだ。

ほんとうなら自らを省み、アベルから学ぼうとするべきだった。

 

ものごとが思うようにいかず、おもしろくない状況になるとき、わたしもカインと同じように怒りを、それも神に対する怒りをたぎらせている自分に気づき、ハッとすることがある。

 

順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。(伝道者7:14)

 

 

「なぜ、あなたは怒っているのか。」(6)

 

主の問いかけに、カインは背を向ける。

 

カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した。(8)

 

こうして人類最初の子どもは、兄弟殺しの“殺人犯”となった。

 

主はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」カインは言った。「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」(9)

 

なんというふてぶてしさであろう。

しかし、悲しいかな、これが人類最初の子孫なのだ。

人の罪の闇は深い。

 

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。(ローマ12:1)

 

 

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