交わりのいけにえ
「そのささげ物が交わりのいけにえの場合には、献げようとするのが牛であるなら、雄でも雌でも傷のないものを主の前に献げなければならない。」(レビ記3:1)
3章は、「交わりのいけにえ」についてだ。
以前の新改訳では「和解のいけにえ」となっており、わたしはこちらのほうが馴染みがある。
ちなみに、新共同訳では「和解の献げ物」、口語訳では「酬恩祭の犠牲」、リビングバイブルだと「和解(主への感謝)のいけにえ」となっていた。
リビングバイブルの訳が、いちばんわかりやすい。
このいけにえは、神への感謝や喜びを表すものだ。
だから、最良の部分である脂肪は焼いて神に献げるが、残りは祭司や献げた人が宴会で食べたという。
「和解=神との交わりの回復」ということで、「交わりのいけにえ」とされたのだろう。
「祭司は祭壇の上で、それを食物として、芳ばしい香りのための食物のささげ物として焼いて煙にする。脂肪はすべて主のものである。あなたがたがどこに住んでいても代々守るべき、永遠の掟はこれである。あなたがたは、いかなる脂肪も血も食べてはならない。」(16-17)
神はわたしたちをすでに赦しておられ、永遠の愛をもって愛し、受け入れてくださっている。
キリストの贖いが成就したいまは、なおさらのことだ。
神の愛に浸るとき、罪に染まったわたしの肉の性質は溶かされていく。
幼子のように主の愛を受け取り、心からの感謝をささげよう。
神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。(2コリント5:18-19)