みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

塩をかけて献げなければならない

穀物のささげ物はみな、塩で味をつけなさい。穀物のささげ物に、あなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのどのささげ物も、塩をかけて献げなければならない。」(レビ記2:13)

 

1章の「全焼のささげ物」につづいて、2章は「穀物のささげ物」だ。

これには、加えてはならないものと、加えなければならないものとがある。

 

加えてはならないものは、パン種だ。

 

「あなたがたが主に献げる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しであっても、主への食物のささげ物として焼いて煙にしてはならない。」(11)

 

パン種も蜜も、腐敗の原因となる。

特にパン種は、聖書において、霊的腐敗の象徴として出てくる。

 

そのとき、イエスは彼らに命じられた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種には、くれぐれも気をつけなさい。」(マルコ8:15)

 

これは、間違った教えについての戒めだ。

また、パウロはこう書いた。

 

あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。(1コリント5:6)

 

ここでは誇り高ぶりを象徴するものとして出てくる。

小さな誇り高ぶりが、あっという間に巨大化し、大きな過ちに陥らせる。

 

加えなければならないものとは、冒頭にあるとおり、塩だ。

塩は、腐敗を防止し、味をつける。

 

エスさまは、こう語られた。

 

「あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。」(マタイ5:13)

 

パウロはこう書いている。

 

あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります。(コロサイ4:6)

 

「どのささげ物も、塩をかけて献げなければならない」とある。

わたしたちの発する言葉についてもそうだろう。

口から発するどんな言葉も、誇りのパン種を取り除き、塩味の効いたきよいものでありたい。

 

あなたのしもべを、傲慢から守ってください。それらが私を支配しませんように。そのとき私は、大きな背きから解き放たれて、全き者となるでしょう。私の口のことばと、私の心の思いとが、御前に受け入れられますように。主よ、わが岩、わが贖い主よ。(詩篇19:13-14)

 

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