みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

ご自分の聖徒を特別に

知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。(詩篇4:3)

 

4篇の表題には、こうある。

 

指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデの賛歌。(表題)

 

ダビデは竪琴の名手だった。(1サムエル16:23)

音楽を愛し、音楽を通して主を賛美した。

この4篇も、ダビデが歌い、後世に引き継がれたものだろう。

 

ダビデは、「主はご自分の聖徒を特別に扱われる」と歌った。

このとき彼は成功と幸福の頂点にあった・・・のではない。

 

追いつめられたとき、あなたは私を解き放ってくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。(1)

 

彼は、3篇と同様、敵に取り囲まれていたのだ。

 

人の子たちよ。いつまで私の栄光を辱め、空しいものを愛し、偽りを慕い求めるのか。(2)

 

ダビデを陥れようとつけ狙う者たちに追われながら、主を仰いだ。

 

震えわななけ。罪を犯すな。心の中で語り、床の上で沈まれ。義のいけにえを献げ、主に依り頼め。(4-5)

 

心乱れ、動揺し、それでも自分に言い聞かせるように、主に信頼しようとしている。

 

主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。(6)

 

黙示録に預言された「新しいエルサレム」では、太陽も月も存在せず、主が光となって照らしてくださる(黙示録22:5)。

どんなに暗い状況でも、主の御顔の光に照らされるなら、わたしたちは幸いだ。

それは世の喜びとは、根本的に異なるしあわせだ。

 

あなたは喜びを私の心に下さいます。それは、彼らに穀物と新しいぶどう酒が豊かにある時にもまさっています。(7)

 

穀物と新しいぶどう酒」は、神を知らない「彼ら」にも喜びと平安をもたらす。

しかし、ダビデが言っている主からの「喜び」はまったく別種類のもので、はるかに素晴らしいものだ。

 

平安のうちに私は身を横たえ、すぐ眠りにつきます。主よ。ただあなただけが、安らかに私を住まわせてくださいます。(8)

 

不眠のおもな原因は、ストレスや不安だ。

それらに苛まれても仕方ない状況で、ダビデはゆっくりと眠ることができた。

生けるまことの主に、信頼していたのだ。

 

最後に、彼がしきりに「主よ」と呼びかけた方ご自身の言葉を聞こう。

 

「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」(ヨハネ14:27)

 

 

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