近くに行って聞く
神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。近くに行って聞くことは、愚かな者たちがいけにえを献げるのにまさる。彼らは自分たちが悪を行っていることを知らないからだ。(伝道者5:1)
「神の宮へ行くとき」とは、「神のみもとに近づくとき」と言い換えてもいいだろう。
「自分の足に気をつけよ」とある。
不用意に、安易な気持ちで近づくなということだ。
「愚かな者たち」は、軽々しく神に近づき、義務的にいけにえを献げてよしとする。
しかし、「近くに行って聞く」ことのほうがはるかに大切であると、伝道者は説く。
神の前では、軽々しく心焦ってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。(2)
「聞く」ことは、「ことばを少なく」することだ。
これは人間同士でもそうだ。
ことばが多くて人の話をよく聞く、そんな人はいない。
「聞く」人はことば少なく、相手を理解しようと耳を傾ける。
“傾聴”という言葉があるが、まさに耳も心も傾ける。
仕事が多ければ夢を見、ことばが多ければ愚かな者の声となる。(3)
神に聞くよりも、話すばかりになってはいないか。
みこころを理解しようとするよりも、自分の思いを訴えるばかりになってはいないか。
神は天におられ、自分は地にいることを、わきまえているか。
神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。愚かな者は喜ばれない。誓ったことは果たせ。誓って果たさないよりは、誓わないほうがよい。(4-5)
「誓い」についてはイエスさまも語られたが、そこでも「聞く」ことを強調されている。
「また、昔の人々に対して、『偽って誓ってはならない。あなたが誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。・・・自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。」(マタイ5:33-37)
「はい」は「はい」「いいえ」は「いいえ」とせよとは、すなわち「聞きなさい」ということだ。
言うまでもなく、「聞く」ことは難しい。
「私の特技は、人の話をよく聞くこと」と新首相は語ったが、そう言えるのはなかなかすごいことだ。
なにせ現代は、家族の話ですらスマホをいじりながら聞く時代だ。
わたしも、ついやってしまう。
そんなときは生返事ばかりして、聞いてはいない。
そういう者が、神に対してだけよく「聞く」ということはあるだろうか?
自省するばかりである。
夢が多く、ことばの多いところには空しさがある。ただ、神を恐れよ。(7)