王女はその子をモーセと名づけた
王女はその子をモーセと名づけた。彼女は「水の中から、私がこの子を引き出したから」と言った。(出エジプト2:10)
2章から、いよいよモーセが登場する。
この章では、誕生から神に召し出される前までの80年間が、一気に語られる。
エジプトの王女に拾われて、実母を乳母として育てられるいきさつは、何度読んでもおもしろい。
特に、姉ミリヤムの幼いながらの機転に感心する。
その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に父を飲ませるために。」(7)
ナイル川のしげみから引き出された子は、「引き出す」という意味のモーセという名をつけられた。
この子が、後に、イスラエルの民をエジプトから引き出すのだ。
こうして日がたち、モーセは大人になった。彼は同胞たちのところへ出て行き、その苦役を見た。そして、自分の同胞であるヘブル人の一人を、一人のエジプト人が打っているのを見た。彼はあたりを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めた。(11-12)
『使徒の働き』7章23節でステパノは、このときモーセは40歳であったと語っている。
同胞が不当に打たれているのを見て、がまんがならなかった。
彼は人を殺し、隠そうとした。
ところが、翌日にはもうそれがばれてしまっていた。(13)
ファラオはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜した。しかし、モーセはファラオのもとから逃れ、ミディアンの地に着き、井戸の傍らに座った。(15)
彼は指名手配中の逃走犯となった。
井戸では七人の娘が羊の群れに水を飲ませていた。
それをほかの羊飼いたちが押しのけたのを見て、またもモーセが立ち上がる。
そのとき、羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払った。するとモーセは立ち上がって、娘たちを助けてやり、羊の群れに水を飲ませた。(17)
こうしてみると、モーセという人は、元来、正義感の強い熱血漢だったようだ。
ただ、一本気ではあるが、王室育ちのゆえか、人の心の機微に配慮することができなかったのかもしれない。
この事件をきっかけにして、彼はレウエルという人物のもとに身を寄せ、結婚までする。
王室で育った男が、いまや追われる身となり、遠い異国の地で名も知れぬ羊飼いとして暮らし始めた。
『使徒の働き』7章30節では、神の召命を受けるのがその40年後、つまりモーセが80歳のときだ。
「地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」(民数記12:3)と言われるモーセは、この長い時間の間にへりくだることを学んだ。
そして、その後、40年にわたる「出エジプト」の旅が始まる。
『申命記』34章7節には、モーセは120歳で死んだと記録されている。
モーセの生涯は、40年ごとに大きな節目を迎え、動いていったのだ。
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。(1ペテロ5:6)