おまえにエジプト全土を支配させよう
ファラオはさらにヨセフに言った。「さあ、私はおまえにエジプト全土を支配させよう。」(創世記41:41)
エジプト王ファラオが不吉な夢を見た。
だれも解き明かすことができないのを見て、献酌官長がヨセフを思い出す。
二年間もすっかり忘れていたのだ。
王の前に連れて来られたヨセフは、奴隷らしからぬ風格を漂わせていた。
ファラオはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。おまえは夢を聞いて、それを解き明かすと聞いたのだが。」ヨセフはファラオに答えた。「私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。」(15-16)
ここでも献酌官長のときと同じように、解き明かすのは神であると、ヨセフは答えた。
「私は神と交わっていますから、神が教えてくださるのです」というような、自分の栄光を匂わせることもいっさいしない。
果たして、ファラオの夢が七年間の大豊作のあとに七年間の大飢饉が来ると示していること、それに備えて知恵ある者に指揮をとらせることを進言する。
そこで、ファラオは家臣たちに言った。「神の霊が宿っているこのような人が、ほかに見つかるだろうか。」(38)
そして、王はヨセフに、王に次ぐ全権を委ねた。
ほかにヨセフ以上の知恵者がいなかったとはいえ、王もたいしたものだ。
外国から売られてきた奴隷の若者に、国の全権を預けるというのだから。
ヨセフは王から妻も与えられ、二人の子に恵まれる。
ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が、私のすべての労苦と、私の父の家のすべてのことを忘れさせてくださった」からである。また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が、私の苦しみの地で、私を実り多い者としてくださった」からである。(51-52)
マナセ(忘れる)とエフライム(実る)。
「忘れて、実る」とは、すばらしい名前ではないか。
ヨセフは、口には出さないまでも、体験してきたひどい仕打ちを忘れることはできなかった。
しかし、いま、主がその労苦に報いてくださったと受けとめて、「忘れて、実る」者となったのだ。
ヨセフの宣告どおり、豊作のあとにひどい飢饉が続き、あらゆるところからヨセフのもとに助けを求める人々が押し寄せた。
やがて父や兄たちもエジプトに下って来て、それがイスラエル人がエジプトで増えるきっかけとなり、モーセによる出エジプトへとつながっていく。
壮大なドラマは、まだまだ続く。
「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」(マタイ6:11-12)