主がヨセフとともにおられた
主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。(創世記39:2)
エジプトに売られたヨセフは、見知らぬ国の見知らぬ人たちの間でも、誠実に、懸命に生きた。
何よりも、まことの神を仰ぎ、神もまたヨセフとともにおられた。
本章には、「主がヨセフとともにおられた」という記述が何度も出てくる。
彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。(3-4)
ヨセフはまだ二十歳そこそこだったと思われるが、その若者に「全財産を委ねた」とは、大変な信頼だ。
いまで言えば、通帳もキャッシュカードも預けるようなものだ。
ところが、困ったことが起きた。
若くて美しいヨセフに、主人の妻が言い寄ったのだ。
これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「一緒に寝ましょう」と言った。(7)
ヨセフは毅然と退ける。
「・・・どうして、そのような大きな悪事をして、神に対して罪を犯すことができるでしょうか。」彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、彼は聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、一緒にいることもしなかった。(10)
「毎日」言い寄るとは、恐ろしいかぎりだ。
人間的にも魅力がなかったことだろう。
とうとう彼女は言いがかりをつけて、ヨセフがいたずらしようとしたと言いふらし、その結果、彼は監獄に入れられた。
誠実に生きてもエジプトに売り飛ばされ、監獄に入れられることがある。
人生とは、なんと理不尽だろう。
しかし、そこでもヨセフは主を仰いで生き抜いた。
しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。(22)
ここでも彼は信頼を得て、すべての管理者となった。
マネジャーの第一の資質は、信頼される誠実さだとわかる。
彼ならいい加減な仕事をしない、彼ならうそをつかない、と認められたのだ。
最終的にヨセフは、エジプトの全権を任されるところまでなる。
どんなに理不尽な苦難に遭っても、主と人の前に誠実に生きたヨセフを、少しでも見倣いたい。
すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ2:14-16)