人を地の面から消し去ろう
そして主は言われた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを悔やむ。」(創世記6:7)
6章から9章までは「ノアの洪水」の話だ。
6章の前半では、解釈の難しい点がいくつか出てくる。
中でも「神の子ら」(2)や「ネフィリム」(4)が何者なのかについては、いろいろな説があるようだ。
わたしが折にふれて学ばせてもらっているハーベスト・タイム・ミニストリーズの中川健一牧師は、「神の子ら」を「堕天使」、「ネフィリム」を神の子と堕天使の雑婚により生まれた「超人」とする説を取っておられる。
詳しく知りたい方は、ウェブサイトを参照されるとよい。
Q.30 “神の子らと人の娘たちが結婚した”とは、どういう意味? 創世記6章:2 - メッセージステーション
主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。(5-6)
この節から、よく「全能の神ならば、悔やんだり心痛めたりするのはおかしいではないか」と言われることがある。
たしかにそうかもしれない。
しかし、そういう言葉を神に向かって吐くことじたいが、神の心を痛める人間の姿だとわきまえておこう。
11~12節には、こうある。
地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたからである。(11-12)
さて、いまの「地」はどうだろう?
同じようなものではないだろうか。
人の殺されない日はなく、争いのない町はない。
まさに「堕落し、暴虐で満ちて」いる。
神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。」(13)
もはや「人」ではなく、「肉なるもの」と呼ばれている。
“神の似姿”として創造された人間は、十代目のノアの時代において、早くも「肉なるもの」、すなわちただの肉塊と化してしまった。
そんな中、ノアだけは例外だった。
しかし、ノアは主の心にかなっていた。・・・ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。(8-9)
神はノアにだけ、秘密を知らされた。
「わたしは、今、いのちの息のあるすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去るために、地上に大水を、大洪水をもたらそうとしている。地上のすべてのものは死に絶える。しかし、わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは、息子たち、妻、それに息子たちの妻とともに箱舟に入りなさい。」(17-18)
主よ。
いまの地上も堕落と暴虐に満ちています。
近い将来、あなたはこれらを一掃されます。
この時代にあって、ノアのように、神とともに歩む歩みを重ねることができるよう、お守りください。
アーメン。
ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。(22)