主は約束したとおりに
主は約束したとおりに、サラを顧みられた。主は告げたとおりに、サラのために行われた。(創世記21:1)
主の約束は、告げたとおりに成就した。
サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。(2-3)
主の約束は、そうなったらいいなあといったものではなく、“あり得ない”ことだった。
これまでまったく子を為さなかったアブラハム夫妻に、夫百歳、妻九十歳にして、男の子が与えられるというのだから。
だから、二人とも、はじめは笑った。
しかし、その後、不信仰を悔い改め、主の約束を信仰によって受け取った。
わたしたちも、主からの約束、それも想像もつかない約束を与えられている。
それは、近い将来、「約束したとおりに」「告げたとおりに」成る。
主は約束したとおりに、
- 天から迎えに来られた
- 喜んで御国を与えてくださった
- わたしのために場所を備えておられた
- よみがえりのからだを与えてくださった
- わたしの家族も救われた
- 新しい天と新しい地を与えられた
あり得ないような約束を、子どものように信じよう。
「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」(ルカ1:45)
彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱りませんでした。不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。(ローマ4:19-21)