みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

わたしのための聖所を造らせよ

「彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。」(出エジプト25:8)

 

25章から、「幕屋」の建造についての指示が記録されている。

イスラエルの民が神と会い、献げ物をささげる場所だ。

神は、道具のつくりや材質などについて、一つひとつ細かく語られた。

 

  • 二枚の石の板を入れる契約の箱(10-16)
  • 宥めの蓋(17-21)
  • パンを載せる机(23-30)
  • 燭台(31-39)

 

「幕屋と幕屋のすべての備品は、わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない。」(9)

 

もうちょっと小さいサイズにして持ち運びやすくしようとか、ここは思いきってインパクトのあるデザインにしてみよう、などと勝手に変えてはならない。

 

なぜその素材なのか、なぜそのデザインなのか、なぜその大きさなのか、モーセも民もよくわからなかっただろう。

しかし、彼らは忠実に再現した。

神を恐れ、神の言われることに間違いはないと、信頼したからだ。

 

わたしたちも、自分が理解できてもできなくても、神の御旨に従順でありたい。

 

ちなみに、わたしの師はこのような細かな律法の規定について、「すべては天国に行ってから学ぶことになるよ。楽しみです」と言っていた。

 

さて、へブル書の著者はこう書いている。

 

この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。それは、モーセが幕屋を設営しようとしたときに、御告げを受けたとおりのものです。(ヘブル8:5)

 

モーセが神の御告げによって設営した幕屋は、「天にあるものの写しと影」だ。

いわば模倣品であって、本物ではない。

そして、キリストこそが、本物の幕屋で仕えるまことの大祭司だと語る。

 

この方は天におられる大いなる方の御座の右に座し、人間によってではなく、主によって設けられた、まことの幕屋、聖所で仕えておられます。(ヘブル8:1-2)

 

旧約聖書の「幕屋」に関する記事は、常にこのような視点をもって読む必要がある。

わからないことも多いが、キリストが自らの血を携えて、永遠の贖いを成し遂げてくださったことははっきりしている。

 

キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして今、私たちのために神の御前に現れてくださいます。(ヘブル9:24)

 

 

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