みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

シナイ山は全山が煙っていた

シナイ山は全山が煙っていた。主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。煙は、かまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。(出エジプト19:18)

 

シナイの荒野で、イスラエルは山の前に宿営した。

 

モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んで言われた。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。」(3-6)

 

ここで神ははっきりと、「わたしの契約」と語られた。

それを守るなら、イスラエルは「わたしの宝となる」と。

つまり19章は、「十戒」を授かる前段階だ。

 

主はモーセに言われた。「見よ。わたしは濃い雲の中にあって、あなたに臨む。わたしがあなたに語るとき、民が聞いて、あなたをいつまでも信じるためである。」(9)

 

さらに主は、

  • 三日後にシナイ山に降りる
  • モーセは民を聖別し、自分たちの衣服を洗わせる
  • 山の境界に触れないようにさせる
  • 触れる者は獣でも人でも殺される
  • 女に近づいてはならない

と語られた。

 

三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。(16)

 

モーセが伝えていたとおり、三日後に主は恐ろしい自然現象を伴って山に降りて来られた。

このとき民は恐怖におののいたと、へブル書の著者は記している。

 

あなたがたが近づいているのは、手でさわれるもの、燃える火、黒雲、暗闇、嵐、ラッパの響き、ことばのとどろきではありません。そのことばのとどろきを聞いた者たちは、それ以上一言も自分たちに語らないでくださいと懇願しました。彼らは、「たとえ獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない」という命令に耐えることができませんでした。また、その光景があまりに恐ろしかったので、モーセは「私は怖くて震える」と言いました。(ヘブル12:18-21)

 

へブル書の著者は、キリストを信じて救われる新約時代の信者たちは、かつてイスラエルの民が体験したような恐ろしい山に近づいているのではない、と語る。

 

しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。(ヘブル12:22-24)

 

どれほどすばらしい救いにあずかっているかを強調したうえで、つぎのように警告している。

 

あなたがたは、語っておられる方を拒まないように気をつけなさい。地上において、警告を与える方を拒んだ彼らが処罰を免れなかったとすれば、まして、天から警告を与える方に私たちが背を向けるなら、なおのこと処罰を免れられません。(ヘブル12:25)

 

すなわち、信仰における責任は、旧約時代よりも新約時代のほうが重い。

 

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。(詩篇121:1-2)

 

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