みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あなたはそれを一人ではできません

すると、モーセのしゅうとは言った。「あなたがしていることは良くありません。あなたも、あなたとともにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。あなたはそれを一人ではできません。」(出エジプト18:17-18)

 

宿営地を、モーセのしゅうとで祭司のイテロが訪ねて来た。

 

モーセはしゅうとに、主がイスラエルのために、ファラオとエジプトになさったすべてのこと、道中で自分たちに降りかかったすべての困難、そして主が彼らを救い出された次第を語った。(8)

 

モーセはしゅうとに“証し”をした。

自分ではなく、主がなさったことを語った。

イテロはイスラエルの神こそ偉大な神だと喜び、モーセとアロン並びにイスラエルの長老たちと食事を共にした。(9-12)

 

翌日、モーセは民をさばくために座に着いた。民は朝から夕方までモーセの周りに立っていた。(13)

 

翌日、イテロは驚いた。

モーセの前に長蛇の列ができ、人々がひっきりなしに相談事を持って来るのだ。

そのすべてを、モーセがさばいていた。

 

モーセはしゅうとに答えた。「民は神のみこころを求めて、私のところに来るのです。彼らは、何か事があると、私のところに来ます。私は双方の間をさばいて、神の掟とおしえを知らせるのです。」(15-16)

 

これに対しイテロは、冒頭のように、「このままではあなたも民も疲れ果てる、荷が重すぎる」と警告する。

そして、こう提案した。

 

「あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立てなさい。いつもは彼らが民をさばくのです。大きな事件のときは、すべてあなたのところに持って来させ、小さな事件はみな、彼らにさばかせて、あなたの重荷を軽くしなさい。こうして彼らはあなたとともに重荷を負うのです。」(21-22)

 

イテロは前夜の食事会をとおして、民の中にも誠実で賢い者たちがいることを見て取っていたと思われる。

 

「もし、あなたがこのことを行い、神があなたにそのように命じるなら、あなたも立ち続けることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができるでしょう。」(23)

 

イテロはくり返し、重荷を分け合うことが、モーセと民の双方にとって益となることを語っている。

モーセは決して傲慢ではなかったが、周りの信頼できる人たちに協力してもらうという考えが乏しかった。

そして、神の人モーセに忠告できるのは、彼のしゅうとであるイテロしかいなかった。

神は、絶妙のタイミングでイテロを遣わされたのだ。

 

「みんなのために自分がしっかりしなければ」という責任感も、ときとして、みんなのためにならないことがある。

重荷を負うのもすばらしいが、分け合うことはもっとすばらしい。

 

兄弟は苦難を分け合うために生まれる。(箴言17:17)

 

 

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