みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

わたしはエジプトの中に出て行く

モーセは言った。「主はこう言われます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。エジプトの長子は、王座に着いているファラオの長子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の長子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。そして、エジプト全土にわたって大きな叫びが起こる。このようなことは、かつてなく、また二度とない。』」(出エジプト11:4-6)

 

とうとう最後の災害が始まろうとしていた。

11章は、全部で10節と非常に短い。

黙示録でも最後のさばきの前に不気味な静けさが描かれているが、この章もそんな感じだ。

 

3節には、興味深いことが書いてある。

 

主は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬された。(3)

 

モーセの顔を見たくもなかったファラオとは違って、家臣と民はモーセを尊敬し、イスラエルの民を好意的に見ていた。

それだけ神の人、神の民だとわかったということだろう。

そして、これもまた主から出ていたことだった。

 

「主はこう言われます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。』」(4)

 

最後の災害は、モーセやアロンの杖ではなく、主ご自身によって成される。

「エジプト全土にわたって大きな叫びが起こる」ほどの、もっとも恐ろしく、悲惨な災害だ。

エジプトの長子は、

 

「みな死ぬ」(5)

 

いい子も悪い子も関係ない、「みな死ぬ」。

 

「しかし、イスラエルの子らに対しては、犬でさえ、人だけでなく家畜にも、だれに対してもうなりはしません。こうして主がエジプトとイスラエルを区別されることを、あなたがたは知るようになります。」(7)

 

主の救いはすばらしく、主のさばきは実に恐ろしい。

 

知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。(詩篇4:3)

 

 

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