もう一度だけ私の罪を見逃してくれ
ファラオは急いでモーセとアロンを呼んで言った。「私は、おまえたちの神、主とおまえたちに対して過ちを犯した。どうか今、もう一度だけ私の罪を見逃してくれ。おまえたちの神、主に、こんな死だけは取り去ってくれるよう祈ってくれ。」(出エジプト10:16-17)
どこまでも頑迷なファラオ。
続いての災害は、いなごの大群だ。
モーセがこのさばきを警告したとき、家臣たちは王に訴えた。
家臣たちはファラオに言った。「この男は、いつまで私たちを陥れるのでしょうか。この者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてください。エジプトが滅びるのが、まだお分かりにならないのですか。」(7)
家臣たちの必死なすすめに、王も動揺したのか、モーセとアロンを呼び戻した。
そして、妻子は行かせずに、壮年の男子だけで礼拝して来いと告げた。
結局、東風に乗って、いなごの大群がやって来た。
そのとき、ファラオが言ったのが冒頭のセリフだ。
彼は雹の災害のときにも、似たようなことを言っている。
「今度は私が間違っていた。主が正しく、私と私の民が悪かった。主に祈ってくれ。」(出エジプト9:27-28)
しかし、災害が過ぎ去ると心を頑なにした。
いなごでも同様だ。
「もう一度だけ私の罪を見逃してくれ」と言いながら、いなごが消え去ると、やはり心を頑なにした。
つぎの災害は、エジプト中を覆った真っ暗闇だ。
人々は三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立つこともできなかった。しかし、イスラエルの子らすべてには、住んでいる所に光があった。(23)
今度のファラオは、妻子も行っていいが家畜は残せ、とさらに譲歩を見せる。
モーセがそれも受け入れないと知ると、捨て台詞を吐いた。
ファラオは彼に言った。「私のところから出て行け。私の顔を二度と見ないように気をつけろ。おまえが私の顔を見たら、その日に、おまえは死ななければならない。」(28)
とにかく、モーセの顔を見たくなかったようだ。
それはそうだろう。
夜ごとモーセの顔が浮かんで、うなされていたに違いない。
これだけの目に遭っても、彼は心から悔い改めようとはしなかった。
なんと頑迷なと思う反面、ファラオの姿はこのわたしの姿でもあると思わされる。
「もう一度だけ私の罪を見逃してくれ」。
そんな態度が、いまだに自分の中に巣くっていることを認めざるをえない。
もし私たちが、真理の知識を受けた後、すすんで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためのいけにえは残されておらず、ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。・・・神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに思い処罰に値するかが分かるでしょう。(ヘブル10:26-29)