みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

主よ、なぜ、あなたは

それでモーセは主のもとに戻り、そして言った。「主よ、なぜあなたはこの民をひどい目にあわせられるのですか。いったい、なぜあなたは私を遣わされたのですか。」(出エジプト5:22)

 

イスラエルの民は、モーセとアロンが神からの言葉を語り、目の前でしるしを行ったのを見て、彼らを信じた。(4:30-31)

そして二人は、ファラオのもとに向かった。

 

その後、モーセとアロンはファラオのところに生き、そして言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられます。『わたしの民を去らせ、荒野でわたしのために祭りを行えるようにせよ。』」(1)

 

これに対するファラオの答えは、主があらかじめ告げられたとおりだった。

 

ファラオは答えた。「主とは何者だ。私がその声を聞いて、イスラエルを去らせなければならないとは。私は主を知らない。イスラエルは去らせない。」(2)

 

モーセとアロンは、イスラエルを去らせなければ疫病が襲うと警告したが、ファラオは聞かない。

 

その日、ファラオはこの民の監督たちとかしらたちに命じた。「おまえたちは、れんがを作るために、もはやこれまでのように民に藁を与えてはならない。彼らが言って、自分で藁を集めるようにせよ。しかも、これまでどおりの量のれんがを作らせるのだ。」(6-8)

 

倍増する苦役にますます苦しむこととなったイスラエルの民は、モーセとアロンを責めた。

 

彼らは二人に言った。「主があなたがたを見て、さばかれますように。あなたがたは、ファラオとその家臣たちの目に私たちを嫌わせ、私たちを殺すため、彼らの手に剣を渡してしまったのです。」(21)

 

「どうしてくれるのだ。あなたたちのせいで、とんでもないことになったじゃないか」というわけだ。

このときモーセは、民を説得しようとはしていない。

 

それでモーセは主のもとに戻り・・・(22)

 

彼は、問題をそのまま主のもとに持って行った。

民がモーセに不平を言い、モーセが主のもとに来て訴える。

この後何度となくくり返されるこの構図は、このときに始まった。

 

「主よ、なぜ、あなたはこの民をひどい目にあわせられるのですか。いったい、なぜあなたは私を遣わされたのですか。」(22)

 

「なぜ、あなたは・・・」と、言いたくなるようなことがないだろうか。

なぜ、あなたは、このような目にあわせられるのですか。

なぜ、あなたは、このようなひどい状態のまま放っておかれるのですか。

なぜ、あなたは、私をこのようにしておられるのですか。

 

「あなたは、あなたの民を一向に救い出そうとはなさいません。」(23)

 

モーセが民に告げてから、少なくとも数週間が経っていたと思われる。

その間に、彼らの信仰は早くも揺らいだ。

 

訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。(ヘブル12:7)

 

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