みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

モーセは神の杖を手に取った

そこでモーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せて、エジプトの地へ帰って行った。モーセは神の杖を手に取った。(出エジプト4:20)

 

神からの召命に、戸惑いを隠しきれないモーセ

なんとか逃れることはできないかと、言い訳をする。

 

モーセは答えた。「ですが、彼らは私の言うことを信じず、私の声に耳を傾けないでしょう。むしろ、『主はあなたに現れなかった』と言うでしょう。」(1)

 

この言い分はもっともだ。

神から告げられたのだと、いくら言ったところで、そうかんたんには信じてもらえない。

 

そこで、神は二つのしるしを見せた。

 

一つは、杖を地に投げると蛇になり、再び手に取ると元に戻るというもの。(2-4)

もう一つは、手を懐に入れると病で白くなり、再び入れると元に戻るというものだ。(6-7)

 

これらはそれぞれ、敵を支配し、病が癒やされるということを暗示しているように思える。

神のみわざを体験して、ますます恐れおののいたモーセは、つぎのように言った。

 

モーセは主に言った。「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」(10)

 

口ベタな自分はふさわしくない、というわけだ。

神は、これを聞いて怒られ、モーセの兄で雄弁なアロンを備えていることを告げる。

 

モーセとしては、万事休すだ。

彼は、しぶしぶながらも、神に従う決断をした。

 

もし40歳のときに同じように召命を受けていたら、彼の態度は違ったのではないだろうか。

正義感の強い熱血漢だったモーセは、「それこそ私の使命です。おまかせください」と奮い立ったことだろう。

 

しかし、40年間の地味な暮らしのなかで、彼はへりくだることを学んだ。

主の働きに、自信はいらないのだ。

 

モーセは「神の杖」を手に取って、エジプトに向かって立ち上がった。

 

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(2コリント12:9)

 

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