みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

さあ、主の家に行こう

「さあ、主の家に行こう。」人々が私にそう言ったとき、私は喜んだ。(詩篇122:1)

 

これも「都上りの歌」で、「ダビデによる」とある。

人々が「主の家に行こう」と歌いながら、エルサレムを目指す様子が目に浮かぶ。

 

エルサレムよ、私たちの足は、あなたの門の内に立っている。エルサレム、それは一つによくまとまった都として建てられている。(2-3)

 

エルサレム」という名そのものが、イスラエルの民にとっては、得も言われぬ響きなのだろう。

 

そこには、多くの部族、主の部族が登って来る。イスラエルである証しとして、主の御名に感謝するために。そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があるからだ。(4-5)

 

都に上った彼らは、そこで、「イスラエルである証し」、すなわち主の民であることを確かめる。

また、主が立てられた王であるダビデの家を見て、主をあがめる。

 

エルサレムの平和のために祈れ。「あなたを愛する人々が安らかであるように。あなたの城壁の内に、平和があるように。あなたの宮殿の内が、平穏であるように。」私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに、平和があるように。」(6-8)

 

ダビデは、人々が「主の家(エルサレム)に行こう」と言ったとき喜んだ。

そして、エルサレムの平和のために祈れ、と言った。

 

同じように、キリストも、人々が「主の家(教会)に行こう」と言うと喜ばれる。

そして、教会の平和のために祈れ、とおっしゃるだろう。

 

残念なことに、多くの教会で分裂や批判が横行している。

誰が彼がではなく、誰もが悔い改める必要がある。

悔い改めつつ、教会の平和のために祈ろう。

 

私たちの神、主の家のために、私はあなたの幸いを祈り求めよう。(9)

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村