みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

主は、あなたの足をよろけさせず

主は、あなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。(詩篇121:2)

 

詩篇121篇、そう聞くだけで胸が躍るような気持ちになる。

それくらい大好きな詩篇だし、多くの人にとってもそうであろう。

あらためて味わってみたい。

 

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。(1-2)

 

わたしたちにとってたいせつなのは、「目を上げる」ことだ。

「目を上げる」ところから、すべてが変わりだす。

 

主は、あなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ、イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。(3-4)

 

天地の創り主である方が、わたしたちを守ってくださる。

わたしたちは眠りを必要とする。

しかし主は、まどろむことすらなく、“寝ずの番”をしてくださる。

 

主はあなたを守る方、主はあなたの右手をおおう陰。昼も、日があなたを打つことはなく、夜も、月があなたを打つことはない。(5-6)

 

主はわたしをおおってくださり、昼も夜も、守り続けてくださる。

 

主は、すべてのわざわいからあなたを守り、あなたのたましいを守られる。主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。(7-8)

 

このように121篇は、“完全なる守り”の歌だ。

 

わたしの師は生前、よく次のように語っていた。

「仏壇を守らなくちゃいけない、墓を守らなくちゃいけない、礼拝を守らなくちゃいけない・・・おかしいよ。なぜなら、われわれは守られているから」

 

何かを守ろうとしているとき、わたしたちはいつの間か力んでいる。

主の御力を押しのけ、自分の力に頼っている。

そこに平安はない。

 

主の守りをしかと覚えるためにも、頑張るのをやめ、踏ん張るのをやめ、みことばの約束を信頼して体重をあずけよう。

わたしたちは赤ちゃんと同じように、眠りを必要とする弱い存在だ。

そして主は、わたしたちが赤ちゃんのときから、まどろむこともなく守っておられる。

 

「二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。」(マタイ10:29-31)

 

 

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