喜びは、心の直ぐな人のために
光は、正しい者のために蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。(詩篇97:11)
詩篇には「正しい者」と「悪者」の対比がくり返し出てくるが、97篇も例外ではない。
主を愛する者たちよ。悪を憎め。主は、主にある敬虔な者たちのたましいを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。(10)
わたしも、「主を愛する者たち」、「主にある敬虔な者たち」、「心の直ぐな人」でありたいと思う。
しかし、わたしの心はよこしまであり、捻じれ曲がっている。
ただ主の前に小さく無力な者としてひれ伏すときにのみ、心が直ぐになり、喜びに満たされる。
傲慢さは、つねにこの喜びを奪い取る。
もっともしつこく、やっかいな性質だ。
だから、日々新しく主の前にひれ伏す必要がある。
主は王である。(1)
このことを真に受け入れるなら、偉そうな顔は微塵もできない。
雲と暗黒が主を囲み、義とさばきが御座の基である。・・・主の稲妻は世界を照らし、地はそれを見て、おののく。山々は主の御前にろうのように溶ける。全地の主の御前に。(2・4-5)
イスラエルの民は、主の臨在にふれたとき、恐怖に恐れおののいた。
主は愛そのものであると同時に、恐ろしいお方でもある。
天は主の義を告げ、諸国の民はその栄光を見る。すべて偶像に仕える者、偽りの神々を誇る者は恥を見る。すべての神々よ、主にひれ伏せ。(6-7)
わたしたちが「主よ」と祈る方は、このような方だ。
シオンは聞いて喜び、ユダの娘たちも、小躍りしました。主よ、あなたのさばきのゆえに。主よ、あなたこそ、全地の上におられる、いと高き方。すべての神々を超えて、高くあがめられています。(9)
「神々」とは、「御使いたち」とも訳せるそうだ。
主はすべてにまさって「いと高き方」。
この方だけが、あがめられるべきお方なのだ。
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。」(ルカ16:15)
正しい者たち。主にあって喜べ。その聖なる御名に感謝せよ。(12)