みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あなたの仰せを喜びます

私はあなたの仰せを喜びます。それを私は愛します。私は、愛するあなたの仰せを求めて両手を上げ、あなたのおきてに思いを潜めます。(詩篇119:47-48)

 

119篇の第2回目は33~64節。

ここでは、詩人のみことばに対する“愛”に着目したい。

 

詩人は、「あなたの仰せを喜び、愛します」と歌った。

これは重要なポイントだと思う。

 

みことばに対する愛は、ほかならぬ、主ご自身への愛だからだ。

その熱い思いは、他の節のいたるところに見られる。

 

私があなたのみおしえから目を離さず、(34)

 

私はその道を喜んでいますから。(35)

 

あなたのさばきはすぐれて良いからです。(39)

 

私はあなたの戒めを慕っています。(40)

 

私はあなたのさばきを待ち望んでいるのです。(43)

 

あなたの戒めを私が求めているからです。(45)

 

彼は、神の戒めだから守ら“なければならない”とは思っていない。

心から、自発的に、喜んで、守っているのだ。

そうでなければ、守ることはできない。

その根底にあるのは、彼の真面目さや、立派さや、クリスチャンらしさではなく、主への愛だ。

 

エスさまは、つぎのように語られた。

 

「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」(ヨハネ14:21)

 

「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(同23)

 

すごい言葉だ。

御父と御子が「来て」、「ともに住」んでくださる。

主を愛し、主の戒めを守る人のところに。

 

主の戒めを喜び、守ることができるかどうかは、意志の強さとは関係ない。

どれほど主を愛しているかであり、すなわち、主に愛されていることをどれほど受け取っているかによる。

 

「この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」(ルカ7:47)

 

主によって、どれほど赦されているか。

どれほど愛されているか。

どれほど受け入れられているか。

心静かに受けとめ、愛のゆえに喜んで、主のみことばを慕い求めよう。

 

ご覧ください。私はあなたの戒めを慕っています。あなたの義のわざにより私を生かしてください。(40)

 

 

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