みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

真実をもって、私を苦しめられた

主よ、私は知っています。あなたのさばきが正しいことと、あなたが真実をもって、私を苦しめられたことを。(詩篇119:75)

 

119篇、第3回目は65~96節とする。

 

71節は、よく知られるみことばだ。

 

苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました。(71)

 

その少し前にも、似たような言葉がある。

 

苦しみにあう前には、私は迷い出ていました。しかし今は、あなたのみことばを守ります。(67)

 

詩人はあきらかに、苦しみにあったことを感謝している。

なぜなら、それによって主のおきてを学び、みことばを守るようになったからだ。

 

主よ、あなたはみことばのとおりに、あなたのしもべに良くしてくださいました。(65)

 

あなたは、いつくしみ深く、良くしてくださるお方です。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。(68)

 

「良くして」いただくとは、“良いこと”ばかり起きるのとは違うのだ。

神から与えられた「苦しみ」は、詩人にとって「良くして」いただくことだった。

 

いまもし苦境にあるとしても、そのこと自体はほんとうの重大事ではない。

少なくとも、神にとっては。

神から見てもっとも重大なことは、苦境にあるそのひとが、神を呼び求め、神に近づくかどうかだ。

 

わたしもそうだ。

苦しみ悩むことがなかったら、神を求めることはなかったに違いない。

不信仰と頑なさのかたまりのような者だ。

苦しみ悩むことで、神に立ち返らされ、「やっぱり聖書のみことばしかない」と思えた。

 

主よ、私は知っています。あなたのさばきが正しいことと、あなたが真実をもって、私を苦しめられたことを。(75)

 

主は「真実をもって」苦しめられる。

悪魔やその支配下に思うようにされている者たちは、「偽り」の世界にいる。

 

どうか、高ぶる者が恥を見ますように。彼らは偽りで私を曲げたからです。しかし私は、あなたの戒めに思いを潜めます。(78)

 

主は真実なお方だ。

その真実は力強く、揺るがない。

 

あなたの真実は代々に至ります。あなたが地を据えられたので、地は堅く立っています。(90)

 

この真実をもって、主は苦しみを与えられる。

うまく言えないが、わたしはそこに、なんとも言えぬ安心感をおぼえる。

主が支えておられるから大丈夫だ、と。

 

だから、主を見上げて、元気を出そう。

 

私はあなたのもの、どうか私をお救いください。私はあなたの戒めを求めています。(94)

 

 

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