シオンの山のようだ
主に信頼する人々はシオンの山のようだ。揺るぐことなく、とこしえにながらえる。(詩篇125:1)
「都上り」では、エルサレムに近づくほどに「シオンの山」が目に入って来ただろう。
そのときこの歌は、格別な思いをもたらしたにちがいない。
主に信頼する人は、あの山のようにどっしりとして揺るぐことはないのだと。
エルサレムを山々が取り囲んでいるように、主は御民を、今よりとこしえまでも囲まれる。(2)
さらに周りの「山々」をぐるりと見渡しながら、主の守りを生き生きと感じることができただろう。
ああ、主は御民を取り囲んで特別に守ってくださるのだ・・・。
それは、悪の杖が、正しい人の割り当て地の上にとどまることがなく、正しい人が不正なことに、手を伸ばさないようにするためだ。(3)
主の守りは二重だ。
悪に影響を受けないように、そして、悪に近づかないように。
主よ、善良な人々や心の直ぐな人々に、いつくしみを施してください。(4)
「善良な人々や心の直ぐな人々」のなかに入っていたい。
研ぎ澄まされた頭脳の人や、雄弁で人の上に立つ人でなくていい。
善良で心の直ぐな人を、主は祝福される。
主は、曲がった道にそれる者どもを、不法を行う者どもとともに追い出される。イスラエルの上に平和があるように。(5)
「曲がった道にそれる者ども」「不法を行う者ども」には入っていたくない。
主よ、私の心を直ぐにし、善をしたう者としてください。
悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12:21)