みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

涙とともに種を蒔く者は

涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え、泣きながら出て行く者は、束を抱え、喜び叫びながら帰って来る。(詩篇126:5-6)

 

126篇は「シオンの復興」から始まる。

 

主がシオンを復興してくださったとき、私たちは夢を見ている者のようであった。(1)

 

解説によると、バビロン捕囚からの帰還を指すようだ。

 

そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、諸国の人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなさった。」主が私たちのために大いなることをなさったので、私たちは喜んだ。(2-3)

 

囚われの身が解放され、自由を得た。

それは叫びたくなるほどの喜びだろう。

わたしたちもいつの日か、喜び叫ぶことになる。

それは天の御国に帰還したときだ。

 

そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。(ヘブル2:14-15)

 

 

主よ、ネゲブの流れのように、私たちを元どおりにしてください。(4)

 

「ネゲブの流れ」は、砂漠地帯で雨期になると奔流となるそうだ。

そのように自分たちを回復してくださいという祈りだ。

 

涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え、泣きながら出て行く者は、束を抱え、喜び叫びながら帰って来る。(5-6)

 

つらい思いをしながらも、種を蒔き続けるなら、かならず報われる。

主は、砂漠に奔流をつくるお方だ。

あきらめずに、きょう、成すべきことを成そう。

 

朝にあなたの種を蒔け、夕方にも手を休めてはいけない。あなたは、あれかこれか、どちらが成功するのか、あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを知らないのだから。(伝道者11:6)

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村