みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

分かっている。わが子よ。私には分かっている。

しかし、父は拒んで言った。「分かっている。わが子よ。私には分かっている。彼もまた、一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし、弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるほどになるであろう。」(創世記48:19)

 

ヤコブは病を患い、死の床にあった。

ヨセフは、二人の息子、マナセとエフライムを伴って、父のもとに駆けつけた。

 

ヤコブに「息子さんのヨセフが、今お見えになりました」との知らせがあった。それで、イスラエルは力を振り絞って床の上に座った。(2)

 

生涯の集大成となる大事な務めのため、ヤコブは「力を振り絞って」居ずまいを正した。

そして、ヨセフに宣言する。

 

「私がエジプトのおまえのところにやって来る前に、エジプトの地でおまえに生まれた、おまえの二人の子は、今、私の子とする。エフライムとマナセは、ルベンやシメオンと同じように私の子となる。」(5)

 

つまり、孫にあたる二人を、自分の養子にするというのだ。

ヨセフは何も反論することなく受け入れる。

「彼らを祝福しよう」(9)と言うヤコブの両側に、ヨセフは息子たちを進ませた。

 

それからヨセフは二人を、右手でエフライムをイスラエルの左手側に、左手でマナセをイスラエルの右手側に引き寄せた。そして二人を彼に近寄らせた。(13)

 

右側がより重い立場、すなわち長子の位置であるため、ヨセフは長男のマナセをそちらに置いた。

 

ところがイスラエルは、右手を伸ばして弟であるエフライムの頭に置き、左手をマナセの頭に置いた。マナセが長子なのに、彼は手を交差させたのである。(14)

 

どうしたことか、父はわざわざ手を交差して、弟のエフライムの頭に右手を置き、彼を長子の立場として祝福し始めた。

ヨセフは驚いた。

父は呆けているのでもないし、ふざけているのでもない。

しかし、あきらかに間違いだ、直さなければ。

 

ヨセフは父に言った。「父上、そうではありません。こちらが長子なのですから、右の手を、こちらの頭に置いてください。」(18)

 

ヨセフは父の手を取ってまで、直そうとした。

このとき、父がヨセフにこう答える。

 

しかし、父は拒んで言った。「分かっている。わが子よ。私には分かっている。彼もまた、一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし、弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるほどになるであろう。」(19)

 

ヤコブは、神からの啓示を受けていた。

そのとおりにしたまでだ。

 

神は、人の理屈では納得いかないことをされることがある。

 

家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。(詩篇118:22-23)

 

 

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