このしもべを、あの子の代わりに
「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。」(創世記44:33)
ヨセフは兄弟たちを、もう一度試そうとする。
彼は、心の中ではすでに、兄弟たちを赦し受け入れていた。
しかし、彼らの心根が昔とほんとうに変わったのかどうかを確かめようとした。
持たせた食糧の袋に、彼らが持参した銀をまたも戻させ、自らの杯をベニヤミンの袋に入れさせた。
あとから遣わされた追っ手が袋を確認すると、それが出てきた。
彼らは自分の衣を引き裂いた。そして、それぞれろばに荷を負わせ、町に引き返した。(13)
彼らはベニヤミンを問い詰めてはいない。
それどころか、全員いっしょに引き返して来た。
何がどうなっているのかという恐怖もあっただろうが、兄弟の心が一つになっているように見える。
彼らはヨセフの前で顔を地に伏せた。ヨセフは彼らに言った。「おまえたちの、このしわざは何だ。私のような者は占いをするということを知らなかったのか。」(14-15)
兄弟たちは、恐怖で震えるような思いだったろう。
代表してユダがヨセフに謝罪し、全員が奴隷となることを申し出る。
それに対しヨセフは、杯を持っていたベニヤミンのみが奴隷となり、あとの者は帰るよう告げる。
ここから、章の半分を使って、ユダの長く感動的な訴えが記されている。
末の弟は年老いた父にとっていのち同様に大切な存在であること、それゆえ彼がいないとなれば父は死んでしまうであろうこと、自分は末の弟の保証人となっていること、したがって自分が彼の代わりに奴隷となること、これらを訴えた。
ユダという人は、ここで大変立派な態度を示しているのだが、ちょっと前の38章では、息子の嫁と姦淫するという大きな罪を犯したことが書かれていた。
このあたりの時系列が、ちょっとはっきりしない。
ヨセフがエジプトに売られてから兄弟たちと再会するまで、二十年弱だ。
その間にユダは、家族から離れ、カナン人の女と結婚し、三人の息子をもうけ、長男が死に、次男が死に、嫁のタマルと姦淫して双子ペレツとゼラフが生まれる。
長男も次男も十代の若い年齢で結婚し、死んだと思われる。
46章12節には、エジプトに下ったヤコブ一族の一員として、こうある。
ユダの子はエル、オナン、シェラ、ペレツ、ゼラフ。エルとオナンはカナンの地で死んだ。(創世記46:12)
つまり、双子のペレツとゼラフは、44章の時点でいたことになる。
ユダは姦淫の罪を犯し、神の御前に悔い改めたのではないか。
そして、ヤコブたち家族のもとに帰っていた。
ヨセフのいるエジプトに兄弟たちと出向いたのは、それから間もなくのことだったのだろう。
ヨセフを売ろうと言ったのもユダだったし、家族から離れて姦淫の罪を犯したのもユダ、そしていまベニヤミンの身代わりとして犠牲になることを申し出たのもユダだった。
良くも悪くも、ユダは創世記において大きな役割を果たしている。
そして、後々、彼の子孫として、キリストがお生まれになる。
ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」(マタイ3:7-8)