みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

私と昼食をともにするから

ヨセフは、ベニヤミンが彼らと一緒にいるのを見るや、彼の家を管理する者に言った。「この人たちを家に連れて行き、家畜を屠って料理しなさい。この人たちは私と昼食をともにするから。」(創世記43:16)

 

激しい飢饉が続き、エジプトから運んで来た食糧も尽きた。

ヤコブは息子たちに、再びエジプトに出向いて調達してくるように言う。

 

しかし、問題が二つあった。

一つは、連れて来るようにと命じられているベニヤミンをどうするか。

もう一つは、知らぬ間に持ち帰ってしまった銀の包みをどう弁明するかだ。

 

ヤコブは「ベニヤミンは行かせない」と言い張るが、ユダが必死に説得する。

とうとう父も折れて、主に委ねて決断する。

 

「全能の神が、その方の前でおまえたちをあわれんでくださるように。そして、もう一人の兄弟とベニヤミンをおまえたちに渡してくださるように。私も、息子を失うときには失うのだ。」(14)

 

ヨセフのもとに到着した一行は、ヨセフの家に連れて行かれ、ますます恐怖におののく。

 

一同はヨセフの家に連れて行かれたので、怖くなって言った。「われわれが連れて来られたのは、この前のとき、われわれの袋に戻されていた、あの銀のせいだ。われわれを陥れて襲い、奴隷としてろばとともに捕らえるためだ。」(18)

 

事実は、まったく逆だった。

彼らがそこに連れられたのは、懲らしめられるためではなく、ヨセフと親しい交わりを持ち、祝福されるためだった。

 

ヨセフは目を上げ、同じ母の子である弟のベニヤミンを見て言った。「これが、おまえたちが私に話した末の弟か。」そして言った。「わが子よ、神がおまえを恵まれるように。」ヨセフは弟なつかしさに、胸が熱くなって泣きたくなり、急いで奥の部屋に入って、そこで泣いた。(29-30)

 

このあたりの描写は、ほんとうに読者の胸を打つ。

 

彼らはヨセフの前で、年長者は年長の席に、年下の者は年下の席に座らされたので、一同は互いに驚き合った。(33)

 

これには、びっくりしたことだろう。

ベニヤミンはともかく、他の兄弟十人がきれいに年齢順に並べられたのだ。

兄弟たちの驚きの表情が目に浮かぶようだ。

 

また、ヨセフの食卓から彼らの分が与えられたが、ベニヤミンの分は、ほかの者より五倍も多かった。(34)

 

あからさまなベニヤミンへの愛情表現だ。

兄弟たちは、(彼が若くてよく食べると思われたのだろう)と考えたのではないか。

ベニヤミンを特別扱いするヨセフに、思わず笑ってしまう。

 

食事は“親しい交わり”の象徴だ。

主イエスもまた、わたしたちを罰するのではなく、親しく交わり、祝福したいと願っておられる。

恐れないで、主のみもとに近づこうではないか。

 

「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)

 

 

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