イスラエルの家は、それをマナと名づけた
イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は密を入れた薄焼きパンのようであった。(出エジプト16:31)
エジプトを出て、ちょうどひと月経った頃、イスラエルの民はだんだん不平不満を言い始めた。
そのとき、イスラエルの全会衆は、この荒野でモーセとアロンに向かって不平を言った。イスラエルの子らは彼らに言った。「エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている。」(2-3)
れんが作りの苦役のことなど、すっかり忘れたようだ。
エジプトにいた頃の良い思い出ばかり考えている。
彼らの不平不満は、「不安」からきたのではないかと思う。
葦の海での主のみわざを見て、「さあ、向かうところ敵無しだ、いざカナンの地へ」と思った。
ところがひと月経ってもまだ、まったく見当違いな場所でうろうろし、満足な食事もできず、全会衆が飢えている。
モーセとアロンは、われわれをどこに連れて行くのだ。
このままでは、みな飢え死にだ・・・。
先の見えない不安は、ときとしてわたしたちを不信仰に陥らせ、肉の欲に引き寄せる。
主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたがたのために天からパンを降らせる。民は外に出て行って、毎日、その日の分を集めなければならない。これは彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを試みるためである。六日目に彼らが持ち帰って調えるものは、日ごとに集める分の二倍である。」(4-5)
これ以後、実に四十年の間、イスラエルの民は天からのパンである「マナ」を食べ続けることになる。
マナについては、つぎのことが記してある。
- 朝ごとに与えられる
- 全会衆に必要なだけ与えられる
- 残しておくと腐る
- 六日目だけ二日分与えられ、七日目は無い
天からの「マナ」は、朝露とともにやって来る。
日が高くなるとダメになるのだ。
同じように、主のみことばも、朝いただくのが一番よい。
朝のみことばが、もっとも吸収率が高い。
蛇足だが、マナは、月曜日はカスタード味で火曜日は抹茶味・・・ということはなかったようだ。
一度でいいから、本物を食べてみたい。
イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」(マタイ4:4)