みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

主の聖なるもの

「また、純金の札を作り、その上に印章を彫るように『主の聖なるもの』と彫り、 これを青ひもに付け、それをかぶり物に付ける。それがかぶり物の前面にくるようにする。」(出エジプト28:36-37)

 

「主の聖なるもの」と彫られた純金の札。

アロンの衣装のなかでも、ひときわ印象的だ。

 

「これがアロンの額の上にあって、アロンは、イスラエルの子らが聖別する聖なるもの、彼らのすべての聖なる献上物に関わる咎を負う。これは、彼らが主の前に受け入れられるように、絶えずアロンの額の上になければならない。」(38)

 

彼は民を代表する立場だ。

したがって、イスラエルの民全体は「主の聖なるもの」である。

この言葉は書かれたものではなく、彫られたものであり、簡単に消えたりはしない。

 

わたしたちキリスト者にもまた、同じ言葉が刻まれている。

 

・・・主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(1コリント6:11)

 

相変わらず弱く、失敗する者ではあるが、主キリストが尊い血潮という代価を払って買い取ってくださった。

「主の聖なるもの」、この言葉が刻まれた者であることを信仰によって受け取り、主の御顔を仰ぎ見よう。

 

しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。(1ペテロ2:9)

 

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