みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

異なる火

さて、アロンの子ナダブとアビフはそれぞれ自分の火皿を取り、中に火を入れ、上に香を盛って、主が彼らに命じたものではない異なる火を主の前に献げた。(レビ記10:1)

 

ナダブとアビフは、「異なる火」を献げるという勝手なことをした。

その結果は、悲劇的だ。

 

すると火が主の前から出て来て、彼らを焼き尽くした。それで彼らは主の前で死んだ。(2)

 

問題は、なぜ二人はこのようなことをしてしまったのかだ。

 

一つには、高ぶりがあったのではないか。

7日間の任職式とそれに続く祭司の務めは、アロンとその子らにとって、絶頂にあるかのような高揚をもたらしたかもしれない。

 

あるいは、何らかの油断も考えられる。

8-9節は、二人が酒に酔っていた可能性を示している。

 

主はアロンにこう告げられた。「会見の天幕に入るときには、あなたも、あなたとともにいる息子たちも、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。あなたがたが死ぬことのないようにするためである。これはあなたがたが代々守るべき永遠の掟である。」(8-9)

 

いずれにせよ、二人は主の厳しいさばきにより、命を奪われた。

 

モーセはアロンに言った。「主がお告げになったことはこうだ。『わたしに近くある者たちによって、わたしは自分が聖であることを示し、民全体に向けてわたしは自分の栄光を現わす。』」アロンは黙っていた。(3)

 

「わたしに近くある者たち」の責任は重い。

主は彼らによって、「自分が聖であることを示」される。

主に仕え、主のために生きたいと願うならば、そのことをいま一度心に刻む必要がある。

 

「主人の思いを知りながら用意もせず、その思いどおりに働きもしなかったしもべは、むちでひどく打たれます。しかし、主人の思いを知らずにいて、むち打たれるに値することをしたしもべは、少ししか打たれません。多く与えられた者はみな、多くを求められ、多く任された者は、さらに多くを要求されます。」(ルカ12:47-48)

 

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