ツァラアト
「祭司は、そのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、患部がそのからだの皮膚よりも深いところに見えているなら、それはツァラアトに冒された患部である。祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。」(レビ記13:3)
「ツァラアト」という語は、新改訳第三版では「らい病」と訳されていた。
口語訳や新共同訳では、「重い皮膚病」となっている。
13章以降を見ると、皮膚だけではなく衣服や建物にも適用されていることから、より広範囲の意味を持たせるということで「ツァラアト」とされたのだろう。
この病を診断するのは、祭司の役目だった。
祭司に見てもらった結果、ツァラアトであるとされた人は、自らそれを公表しなければならなかった。
患部があるツァラアトに冒された者は自分の衣服を引き裂き、髪の毛を乱し、口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ぶ。その患部が彼にある間、その人は汚れたままである。彼は汚れているので、ひとりで住む。宿営の外が彼の住まいとなる。(45-46)
いま新型コロナウイルスに感染した人は隔離され辛い思いをするが、ツァラアトに冒された人は、それ以上の辛さだったと思われる。
自分から周りの人たちに近寄らないように呼びかけ、宿営の外に住まなければならなかったのだから。
その家族も、どんな思いだっただろうか。
その孤独と苦悩、考えただけで胸が痛む。
主イエスはそのような人たちを特に目に留められたことが、大きな慰めだ。
すると見よ。ツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言った。イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。(マタイ8:2-3)