神があなたがたのことを心配してくださる
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(1ペテロ5:7)
かつてヨブは、こう告白した。
女から生まれた人間は、その齢が短く、心乱されることで満ちています。(ヨブ14:1)
また、ダビデ王はこう言っている。
私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは、労苦とわざわいです。(詩篇90:10)
考えてみれば、ものごころついた子どもの頃から、悩みが一つもないという時は無かった。
子どもには子どもの悩み苦しみがあり、大人には大人の悩み苦しみがある。
いまも日々、新たな悩みがあぶくのように生じ、心を疲弊させる。
ペテロは、そういうわたしたち肉なる者に対して、語りかけた。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
「ゆだねる」とは、ちょっと手伝ってもらうという程度ではない。
重い荷物を、すっかりお渡ししてしまうことだ。
「いっさい」ゆだねよ、と言われている。
わたしたちが手を貸そうとすれば、かえって邪魔になる。
神があなたがたのことを心配してくださるからです。
昔、わたしは、このみことばに違和感を感じていた。
「神が心配する」とはおかしいではないか、と。
全知全能の神が何を心配するのだろう、と思ったのだ。
しかし、あるとき次のみことばに出合って合点がいった。
人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。(箴言5:21新改訳第三版)
神が心配なさるとは、わたしたちのようにオロオロするということではなく、「心を配って」おられるということなのだ。
主はわたしたちの「道筋のすべてに心を配っておられる」。
わたしたちは、ごくごく限られた視野で、ああでもない、こうでもないと思い煩う。
これまでの経験から言って、そのほとんどは"的外れ"だ。
そうではないだろうか?
たいていは思い過ごしであったり、それほど大した事ではなかったりしたのだ。
とはいえ、やはりしんどいものはしんどい。
素直になって、すべてをご存知の方におゆだねしよう。
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。(6)
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)