みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

万物の終わりが近づきました

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(1ペテロ4:7)

 

聖書ほどスケールの大きな書物は、ほかにないと思う。

なにせ「万物の終わり」について言及しているのだから。

神をかんたんに否定している現代人から見れば、大昔のたわごとのように思えるかもしれない。

しかし、ペテロは第二の手紙でも、このことについて詳しく述べている。

 

まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者がたちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」
・・・しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(2ペテロ3:3-4、7-8)

 

「千年は一日」ということであれば、ペテロがこれらの手紙を書いたのは今から二日前、つまり一昨日ということになる。

神のスパンでは、そうなのだ。

 

確かなことは、昨日よりも今日が「万物の終わり」に近づいているということだ。

ならば、ペテロの時代よりもなおさら、「祈りのために、心を整え身を慎む」必要がある。

 

ペテロは、続ける。

 

何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(8)

 

何の映画だったか忘れたが、初代教会のようすが描かれていた。

集会がもたれているとき、入口で躊躇して入ろうとしない男がいた。

ペテロが声をかけると、彼は「私は罪を犯した」と言う。

それに対しペテロは、「私は主イエスを裏切った」と答える。

そして二人は並んで中に入って行く・・・。

そんなシーンに、いたく感動した。

 

「みなの者が裏切っても、私はあなたを裏切らない」と大見得をきったペテロは、その夜のうちに三度も主を「知らない」と言った。

そのペテロが、「愛は多くの罪をおおう」と言うほどに変えられたのだ。

主のなさることは、ほんとうに素晴らしい。

 

キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。(1-2)

 

 

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