熱心な祈り
こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。(使徒12:5)
とうとう、十二使徒のひとりが殺されたのだ。
さらにつづいて、ペテロがつかまった。
殺されるのは、時間の問題だ。
主にある兄弟姉妹たちは、激しくうろたえながらも、神に祈った。
このときペテロは、これ以上ないほど厳重なガードで閉じ込められていた。
「二本の鎖」につながれた上、「四人一組の兵士四組」、つまり16人の兵士がつけられた。
助けたくても、手も足も出せない状況だ。
ところがここに、神が驚くべき介入をなさる。
夜中に御使いが、ペテロを起こし、救出したのだ。
「鎖が彼の手から外れ落ち」(7)、「門がひとりでに開いた」(10)、とある。
番兵たちは深い眠りにでも陥っていたのだろうか。
このあとペテロは、「マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家」(12)に向かう。
そこには多くの人々が集まって、祈っていた。(12)
著者であるルカは、この不思議な救出物語を書きながら、5節、12節と、二度にわたって、兄弟姉妹たちが「祈っていた」ことを記している。
文脈の流れとしては、書かなくても成り立つ内容だ。
それでもあえて、書き加えた。
ルカは、神の不思議な働きの背後に、「祈り」があったことを伝えたかったのだ。
何もできないように思えても、主を信じる者たちは「祈る」ことができる。
祈りをささげる対象は、「生けるまことの神」だ。
このお方は、わたしたちの祈りによって動かされ、祈りをとおしてご栄光を現わされる。
「あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。」(ヨハネ16:23-24)
これはイエスさまの約束だ。
嘘のはずがない。
祈れば、ペテロになされたのと同じように、人知をはるかに超える神が、働いてくださる。
あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。(エペソ6:18)
ですから、あなたがたは癒されるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。(ヤコブ5:16)