みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

そのことの証人です

「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」(使徒2:32)

 

エスさまの約束どおり、弟子たちに聖霊がくだった。

聖霊で満たされた彼らは、さまざまな国の言葉で語り始めた。

いぶかしげに見つめるユダヤ人たちを前に、ペテロが声を張り上げて語った。

 

彼のメッセージは、大きく3つに分けられる。

  1. 自分たちは酔っているのではなく、預言されていたとおり聖霊が注がれた
  2. 神は、ナザレ人イエスをよみがえらせた
  3. キリストであるこの方を、あなたがたは十字架につけた

 

使徒の働き』を読む進むとわかるが、弟子たちが何よりも力強く証言したのは「キリストの復活」であった。

「殺されたはずのイエスがよみがえった」、これこそがこの方が神から遣わされた救い主キリストである証拠だと、彼らはあかししたのだ。

 

ペテロはここで、注意深く、聖書(旧約聖書)の預言を引用している。

復活したイエスさまが、「聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた」(ルカ24:27)やり方と同じだ。

 

そして、このキリストをあなたたちは十字架につけたと、単刀直入に宣言した。

その結果、彼らは怒り猛ったかというと、その反対だった。

 

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。(37)

 

飾り気のないペテロの率直な言葉をとおして、聖霊がはたらかれ、人々に救いを求める心が起こされた。

 

そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。(41)

 

 イエスさまがペテロを最初に招いたとき、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マルコ1:17)と言われたが、まさにいまそれが始まったのだ。

 

ペテロは大胆に、まっすぐに、キリストの死と復活を宣べ伝えた。

聞く人が信じるかどうか、理解できるかどうか、わかりやすいかどうか、といったことに関わりなく、ただまっすぐに語った。

 

ここにわたしたちも学ぶべきことが、あるのではなかろうか。

妥協せず、混ぜ物をせず、みことばをまっすぐに語る者でありたい。

 

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。(ローマ1:16)

 

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。・・・事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。(1コリント1:18・21)

 

 

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