みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

私たちを新しく生まれさせ

私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。(1ペテロ1:3)

 

新約聖書の旅も『ペテロの手紙第一』まで来ると、いよいよ終盤が近づいてきたという気になる。

そして、いつものように全体を"ザッと読み"しながら、こう感じた。

当時の兄弟姉妹と同じような思いで読みたいものだ、と。

 

当時は原本やいくつかの写しが、回し読みされたり、朗読されたりしただろう。

使徒ペテロからの言葉を、皆がむさぼるように読んだ(聞いた)に違いない。

わたしもまた、たんに"聖書を読む"のではなく、使徒からの、いや神ご自身からの言葉として、新鮮さと飢え渇きをもって読みたいと思う。

 

この手紙は、ヘブル書やヤコブ書と同じく、試練の中にある信者たちを励まし、教えるために書かれている。

ヘブル書はキリストの大祭司としての特異性を、ヤコブ書は試練の意味や信仰に伴う行いの大切さを強調していた。

『ペテロの手紙第一』では、キリスト者があずかっている救いの素晴らしさと模範としてのキリストが強調されている。

 

キリスト者がどういう者なのか、1章だけでも次のように言われている。

 

  • 御霊による聖別によって選ばれた(2)
  • 神によって新しく生まれ、生ける望みを持たせていただいた(3)
  • 朽ちない資産が天に蓄えられている(4)
  • 神の御力によって守られている(5)
  • 大いに喜んでいる(6・8)
  • イエス・キリストを愛している(8)
  • たましいの救いを得ている(9)
  • むなしい生き方から贖い出された(18)
  • 神のことばによって新しく生まれた(23)

 

本人がそう感じるかどうかではなく、キリストを信じているなら、これがあなたにとっての真実なのですよ、ということだ。

読んでいるだけで、嬉しくなってくるではないか。

この素晴らしい救いがあなたのものになっているのだから、あなたはきよく歩みなさい、愛のうちに歩みなさい、と語られている。

 

ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。(13-15)

 

あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。(22)

 

どう生きるかの前に、どう信じるかが重要だ。

主を信じる者には、先に挙げた事柄がすでに成就している。

まずはそのことをしっかり受け止め、主を礼拝しよう。

 

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。(23)

 

 

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