みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

主の目は主を恐れる者に注がれる

見よ、主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。(詩篇33:18)

 

33篇は、主を賛美しようという呼びかけで始まる。

 

正しい者たち、主を喜び歌え。賛美は直ぐな人たちにふさわしい。竪琴に合わせて、主に感謝せよ。十弦の琴に合わせて、ほめ歌を歌え。(1-2)

 

「賛美は直ぐな人たちにふさわしい」。

ほんとうにそのとおりだ。

心がねじ曲がっていたら、賛美はできない。

反対に、賛美することで心が真っ直ぐに整えられることもある。

わたしはいま、「直ぐ」な心だろうか。

 

詩人は、賛美の根拠を挙げていく。

 

まことに、主のことばは真っ直ぐで、そのみわざはことごとく真実である。主は正義と公正を愛される。主の恵みで地は満ちている。主のことばによって、天は造られた。天の万象もすべて、御口の息吹によって。(4-6)

 

「主の恵みで地は満ちている」。

瑞々しい緑の森、滔々と流れ行く河、揺るがぬ大地、どこまでも雄大な大空、大海原、そびえ立つ峰々、無数の生物、草花、太陽、月、星々。

これらが偶発的に、たまたま調和して出来上がったと考える方が無理がある。

 

主が仰せられると、そのようになり、主が命じられるとそれは立つ。主は国々のはかりごとを破り、もろもろの民の計画をくじかれる。主のはかられることは、とこしえに立ち、みこころの計画は、代々に続く。(9-11)

 

すべては主のことばによって、主のご計画通りに進んでいる。

その主が、一人ひとりに関心を持っておられる。

 

主は、天から目を注ぎ、人の子らをすべてご覧になる。御座が据えられた所から、地に住むすべての者に目を留められる。(13-14)

 

主の目から漏れる人は、ひとりもいない。

そんな中、主が特別な思いをもって目を留める者がいる。

 

見よ、主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。(18)

 

主は、その人をとおしてご自身の栄光を現わされる。

 

「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現わしてくださるのです。」(2歴代誌16:9)

 

わたしは、主を恐れる者だろうか。

主の恵みを待ち望む者だろうか。

 

主が選び、目を留められるのは、自分から手を上げる者ではなく、ひたすら主の前にへりくだり、真実に歩もうとする者なのだ。

 

まことに、私たちの心は主を喜び、私たちは聖なる御名に依り頼む。主よ、あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望むときに。(21-22)

 

 

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