神と子羊の御怒り
そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」(黙示録6:16-17)
6章で、いよいよ七つの封印のうちの六つが解かれる。
解くのはもちろん、屠られた姿の子羊だ。
また私は、子羊が七つの封印の一つを解くのを見た。そして、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい」と言うのを聞いた。(1)
四つ目までは、その都度四つの生き物が「来なさい」と言い、色のついた馬が現れるなど、似たような書き方になっている。
- 白い馬/冠、勝利
- 赤い馬/平和を奪う、人々が殺し合う
- 黒い馬/経済的混乱
- 青ざめた馬/地上の四分の一を支配する、殺す権威
現代人は世の中は進歩していると考えているが、聖書によれば、このような恐ろしい状況に向かって歴史は進んでいる。
第五の封印では、主の正しいさばきを待ち望む殉教者たちに対して白い衣が与えられる。
第六の封印は、天変地異だ。
また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。(12-14)
「神など信じない」と言う人たちに、わたしは聞いてみたい。
「では、太陽は信じますか?」と。
きっと、いぶかしく思われるだろう。
太陽は、きのうも、今日も、いつまでも照り輝いていると、多くの人が“信じて”いる。
何の保証も無いのに、だ。
この箇所では、太陽も、月も、星も、天ですらも、永遠ではないとされている。
それらはいま、神の驚くべき知恵と御力によって保たれているにすぎない。
地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。(15)
ここに挙げられたのは、おもにこの世の権力者たちだ。
彼らが身を隠して言うのが、冒頭のみことばだ。
人々はこの期に及んでも、まだ神の前に悔い改めようとはしない。
神に頭を下げるくらいなら死んだ方がマシだ、ということだろうか。
悔い改めも、神の恵みであることがわかる。
神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。(17)
もちろん耐えられる人などいない。
神は赦しの神であるが、同時に怒りの神でもある。
なんと厳粛なことだろうか。
神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。(2コリント6:2)