モーセの歌と子羊の歌を歌った
私は、火が混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣とその像とその名を示す数字に打ち勝った人々が、神の竪琴を手にしてガラスの海のほとりに立っていた。彼らは神のしもべモーセの歌と子羊の歌を歌った。(黙示録15:2-3)
15章は、全部で8節と、黙示録の中でもっとも短い。
ここから、神のさばきがクライマックスに入っていく。
また私は、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。ここに神の憤りは極まるのである。(1)
――ここに神の憤りは極まるのである
これもまた、黙示録特有のゾクッとする表現だ。
よく旧約の神は“怒りの神”で新約の神は“赦しの神”、という言い方がされることがある。
しかし、それはあきらかに違う。
たしかに、新約においてキリストの贖いが成就したことにより、完全なる罪の赦しが成し遂げられたが、神が怒ることをやめたわけではない。
誤解を恐れずにいえば、神は今日においても怒り続けておられる。
それは、罪を1ミリも受け入れることのない義なるお方として、当然のことなのだ。
いまは、神がさばきの時を延ばしておられるに過ぎない。
やがて、神の怒りが極みに達するときが来る。
それが、この15章だ。
黙示録では、さばきと同時に、しばしば天上における礼拝のようすが描かれる。(11章、14章参照)
15章では、「獣とその像とその名を示す数字に打ち勝った人々」により、「モーセの歌と子羊の歌」が歌われる。
彼らは「獣とその像とその名を示す数字に打ち勝った」と言われていることから、艱難期に救われた人々であることがわかる。
しかも、それらの人々は獣によって殺された殉教者たちだ。(7:14、12:11、13:7・15)
殺されたが、「打ち勝った」と言われていることに目を留めたい。
彼らが信仰を守り通したのは、神と彼らの勝利であり、悪魔の敗北なのだ。
モーセと子羊は、まさに旧約と新約そのものだ。
神の救いのご計画全体を踏まえた歌と言える。
わたしたちも、日々の祈り、礼拝において、この言葉を心から告白しようではないか。
「主よ、全能者なる神よ。あなたのみわざは偉大で、驚くべきものです。諸国の民の王よ。あなたの道は正しく真実です。主よ、あなたを恐れず、御名をあがめない者がいるでしょうか。あなただけが聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。」(3-4)