どんなときにも神に信頼せよ
民よ、どんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を、神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。(詩篇62:8)
信仰とは、信じ込むことではなく、信頼することだと聞いた。
ある教えや何らかの存在を信じるというのではなく、神ご自身を信頼することだと。
信頼には、人格的な交わりがある。
わたしたちは、どんな人を信頼するだろうか。
嘘のない人だ。
裏表のない人だ。
彼らは偽りを好み、口では祝福し、心では呪う。(4)
こういう人を信頼することはできない。
また、自己本位でない人だ。
キリストは、こう語られた。
「自分から語る人は自分の栄誉を求めます。しかし、自分を遣わされた方の栄誉を求める人は真実で、その人には不正がありません。」(ヨハネ7:18)
わたしたち人間は真実でなくても、神はつねに真実である。
だから、「どんなときにも神に信頼せよ」。
あなたがたの心を、神の御前に注ぎ出せ。(8)
信頼できる人には、すべてを打ち明けることができる。
その人が自分を心から愛し、受け入れてくれているなら、なおさらだ。
神の御前に、何も隠すことなく、洗いざらいお話ししなさいと、ダビデはすすめる。
神は一度告げられた。二度私はそれを聞いた。力は神のものであることを。主よ、恵みもあなたのものです。あなたは、その行いに応じて人に報いられます。(11-12)
9・10節では、身分も富も拠り所にはならない、「それに心を留めるな」(10)とある。
その上で、「力は神のものである」と。
神の力は、とても想像できるものではない。
なにせ全世界、全宇宙の創造主であり、支配者だ。
このお方を、わたしたちは信頼している。
「恵みもあなたのもの」。
創造主は偉大なだけでなく、恵み豊かなお方でもある。
与えて惜しまない。
それを考えると、嬉しくなってくるし、力が湧いてくるではないか。
イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」(ヨハネ6:29)