おまえたちは神々だ
わたしは言った。「おまえたちは神々だ。みな、いと高き者の子らだ。にもかかわらず、おまえたちは人のように死に、君主たちの一人のように倒れるのだ。」(詩篇82:6)
82篇は、一見すると難解な内容だ。
出だしから難しい。
神は、神の会議の中に立ち、神々のただ中でさばきを下す。(1)
「神の会議」とは何?「神々」とは誰だ?
「さばき」がテーマであることは、次節以降からもわかる。
いつまで、おまえたちは不正をもってさばき、悪しき者たちの味方をするのか。弱い者とみなしごのためにさばき、苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。弱い者と貧しい者を助け出し、悪しき者たちの手から救い出せ。(2-4)
「不正」なさばきのために、「弱い者」たちが不当に苦しめられている。
そのような「さばき」は、社会の土台を揺るがす。
彼らは知らない。また、悟らない。彼らは暗闇の中を歩き回る。地の基は、ことごとく揺らいでいる。(5)
現代社会では、“司法の独立”は一応保障されている。
しかし、たとえば、こと政治家に関する事件になると、途端に“国策捜査”じみたにおいがしてくる。
それはともかく、続くのが冒頭に挙げた6節だ。
「おまえたちは神々だ。」(6)
実はこのみことばを、イエスさまがヨハネ伝のなかで引用しておられる。
神を父と呼び、自らを父から遣わされた者とされたイエスさまを、ユダヤ人たちが石打ちにしようとする場面だ。
ユダヤ人たちはイエスに答えた。「あなたを石打ちにするのは良いわざのためではなく、冒瀆のためだ。あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ。」
イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った。「おまえたちは神々だ」』と書かれていないでしょうか。神のことばを受けた人々を神々と呼んだのなら、聖書が廃棄されることはあり得ないのだから、『わたしは神の子である』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が聖なる者とし、世に遣わした者について、『神を冒瀆している』と言うのですか。」(ヨハネ10:33-36)
このイエスさまのことばによると、「神々」とは「神のことばを受けた人々」であるとわかる。
当時の祭司のことだろうか。
そう解釈するならば、この詩篇は、世の権力者たちを「神々」と呼んでいることになる。
とすれば、「おまえたちは人のように死に」(7)という箇所も、「(ただの)人のように死に」というように読める。
それにしても、咄嗟の答えにこの箇所を引用し、独特の論理で反証されたイエスさまの知恵に驚嘆するばかりだ。
神よ、立ち上がって、地をさばいてください。あなたが、すべての国々を、ご自分のものとしておられるからです。(8)
「わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。」(ヨハネ5:30)