みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

みことばを行う人

みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。(ヤコブ1:22)

 

ヤコブの手紙』に入る。

全部で5章ということで、"ザッと読み"もしやすい。

 

エスさまの肉の弟、ヤコブが著者だ。

新約聖書の他の手紙に比べても比較的早い時期のものだそうで、西暦40年代に書かれたらしい。

読者としては、ユダヤキリスト者が想定されている。

 

一読して思った。

ヘブル書が"激励の書"であるとすれば、このヤコブ書は"𠮟咤激励の書"だ。

当時の兄弟姉妹たちを信仰に歩むよう励ますことに変わりないが、ところどころ厳格な口調で語られている。

冒頭のみことばのように、信仰における「行い」を強調していることが、大きな特徴だ。

 

文面から、次のようなことが察せられる。

  • 信者たちは、何らかの試練に遭遇していた
  • 信者たちには、裕福な人たちが少なからずいた
  • そこには貧富による差別があった
  • その人たちの信仰は口先だけであった
  • 彼らは指導者になりたがり、言葉の過ちを犯した
  • 互いの間に争い、悪口、さばき合いがあった
  • 商売に気を取られている者たちもいた

 

このようなありさまは、いまもそう変わらないのではないか。

人は、富や権力を持つと、他の人を見下げたり、人の上に立ちたがったり、互いに競ったりする。

 

あなたがたは地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、屠られる日のために自分の心を太らせました。(ヤコブ5:5)

 

いまの日本人はどうだろう?

同じ地球上には、学ぶこともできず、ノートも鉛筆も無い子どもたちがたくさんいる。

しかしわたしたちは、現代文明の素晴らしさだと、さまざまなぜいたくを享受している。

 

1章に戻ろう。

口先だけで行いの伴わない信仰は、実を結ばないだけでなく、試みのときに弱い。

 

私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。(2-4)

 

ヘブル書では、神の訓練は神がわたしたちをご自分のきよさにあずからせるために与える、とあった。

ここでも同じようなことが、書かれている。

「成熟した、完全な者」となるため、と。

神はわたしたちを口先だけの信仰から本物の信仰へと成長させるために試みにあわせる、と言えるのではないだろうか。

 

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。(12)

 

エスさまは、多くの苦しみによって「従順」を学ばれた。(ヘブル5:8)

わたしたちもまた、試練をとおして「従順」、すなわちみことばを行うことを学ぶ。

エスさまが通られた道を、歩もう。

 

すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。(17)

 

 

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