みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

主のことばは力強く広まり

そして、信仰に入った人たちが大勢やって来て、自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした。また魔術を行っていた者たちが多数、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると、銀貨五万枚になった。こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。(使徒19:18-20)

 

エペソでパウロは、腰を落ち着けて福音を語った。

三か月間は会堂で(8)、その後「ティラノの講堂」で二年に渡って語り続けた(9-10)。

 

パウロの伝道の記事を読むと、多くの人が信仰に入った反面、多くの人がパウロに反目して騒動を起こしたことがわかる。

会堂から講堂に場所を移したのも嫌がらせを受けたためであったし、19章の後半では、「アルテミス神殿の模型」を売っていた者たちが起こした騒動で町中が大騒ぎになったことが記されている。

 

エスさまの言葉が思い出される。

 

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。」(マタイ10:34)

 

福音がはっきり語られると、それを受け入れる人と、受け入れない人に、はっきり分かれる。

その意味では、たしかにイエスさまは「平和ではなく剣をもたらす」お方だ。

 

また福音は、それを受け入れた人の生活、およびその内面にまでも剣をもたらす。

だからこそ人々は、過去に決別して自らの罪を告白し、偶像に関する書物を焼き捨てた。

 

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。(ヘブル4:12)

 

パウロは反対する人々を恐れて、福音をあいまいにぼやかすようなことはしなかった。

受け入れられようと、反対されようと、大胆にまっすぐ語り続け、神もまた彼を通して働かれたのだ。

 

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。(2テモテ4:2-3)

 

 

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