まずマグダラのマリヤに
さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされた。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。(マルコ16:9)
マグダラのマリヤは、ヤコブの母マリヤ、サロメらと連れ立って、油を塗るためにイエスさまの墓にやって来た。(1)
彼女たちは、イエスさまが十字架にかけられたときも離れなかったし、墓に納められてからも、イエスさまのことで頭はいっぱいだった。
だから、安息日が明けてすぐに、墓に来たのだ。
ところが、入り口の石はのけられ、そこにいたのは御使いであった。
「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。」(6)
そして、イエスさまは、まず、マグダラのマリヤにご自身を現わされた。
ヨハネ伝の記事を見よう。
イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。・・・」(ヨハネ20:16-17)
マグダラのマリヤは、イエスさまによって「七つの悪霊を追い出された」とある。
そのいきさつについて福音書は何も語っていないが、「七つの悪霊」につかれていたというのだから、自他共にどうすることもできないほど悲惨な状態だったに違いない。
マグダラの町では、忌むべき存在として扱われただろう。
母親たちは子どもらに、「あの女に近寄ってはいけません」と言っていただろう。
みなから、さげすまれ、嫌われ、うとまれ、身内からもそのような扱いを受け、完全な孤独の中にあっただろう。
その彼女を、イエスさまが救った。
以来、イエスさまの行く所ならどこにでもついて行き、奉仕する者となった。
ところが、イエスさまは殺され、葬られ、墓からも消えた。
彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」(ヨハネ20:13)
彼女がどれほどイエスさまを想い、大切にしていたかがよくわかる。
このあと、さきほど見たように、イエスさまはだれよりも先に、彼女にご自身を現わされた。
イエスさまは、「わたしにすがりついていてはいけません」と言われた。
理由は、「わたしはまだ父のもとに上っていないからです」。
この言葉は、このあとずっと、彼女の心に深く留まり、彼女を支えたのではなかろうか。
イエスさまが父のもとに上られたあと、マリヤはそれまで以上に、イエスさまを身近に覚えたことだろう。
空が、ぐっと近くなった。
「主は、私とともにおられる。私が主にすがりつくのではない、主が私とともに働かれるのだ」。
彼女は、主とともに前を向いた。
そして、初代教会において、素晴らしい奉仕者として仕え、生涯を全うしたのではないかと、わたしは思う。
そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。(20)