みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

神の正しいさばき

それは、あなたがたを神の国にふさわしいものと認める、神の正しいさばきがあることの証拠です。あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。(2テサロニケ1:5)

 

パウロは、この『テサロニケ人への第二の手紙』の冒頭で、教会の苦しみと、神の正しいさばきについて述べている。

 

あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。(4)

 

迫害、苦難は「神の国のため」だと、パウロは励ました。

神は正しくさばかれる、と。

 

神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。(7)

 

ここでも第一の手紙と同じく、主の再臨について言及している。

いつかはわからないが、かならずそれは起きる。

ただし、処女懐胎もそうであったように、一度きりしか起きないため、科学的に証明することはできない。

 

主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。(9)

 

恐ろしいことが書いてある。

この世では死刑のことを“極刑”というが、「永遠の滅び」という“ほんとうの極刑”は死後に来るのだ。

 

エスさまも、ご自身の再臨とさばきについて語られたことがある。

 

「不正な裁判官が言っていることを聞きなさい。まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」(ルカ18:6-8)

 

ここでイエスさまは、地上に信仰が見られるかどうか、と問いかけられた。

 

このみことばを読むと、わたしは拉致被害者横田めぐみさんとそのご家族を思わずにはおれない。

周知のとおり、お母様の早紀江さんはめぐみさんを失ったあとイエス・キリストを信じた。

失踪前に、めぐみさんが「キリストの話を聞いた」と言ってきたのを覚えていたという。

お父様の滋さんも、長年娘の奪還のために戦い、晩年には受洗もされたが、昨年天の御国に昇られた。

このご家族の戦いの重さは、いかばかりであろう。

切に祈りたい。

 

あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。(ヤコブ5:13)

 

 

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