御使いよりもすぐれた方
御子が受け継いだ御名は、御使いたちの名よりもすばらしく、それだけ御使いよりもすぐれた方となられました。(ヘブル1:4)
今回から、『ヘブル人への手紙』に入る。
『ローマ人への手紙』のときと同じような、ある種の緊張感がある。
居ずまいを正されるというか、心して読もうという気にさせられる。
山で言えば、ローマ書が奥穂高岳なら、ヘブル書は槍ヶ岳、といったところだ(わかる人にしかわからないが)。
いつものように、全体を"ザッと読み"してみた。
やはり"ザッと読み"はいい。
著者の思いが、浮かび上がってくる。
一読して強く感じるのは、この手紙は"励ましの書"だということだ。
著者が誰であるかは、判明していないらしい。
パウロのようなそうでないような、ということで不明なので、通常は「ヘブル書の著者」と言われている。
教会には、信仰の成長に乏しかったり、信仰が弱くなっていたり、信仰の道から脱落しそうになっている信者たちがいた。
彼らに対し、ヘブル書の著者は、いろんな角度から語ることで、なんとかして励まそうとしている。
「しっかりしろ。この道は確かなのだ。間違いないのだ。キリストの救いは完全なのだ。みことばに立て。信仰の先輩たちを見ろ。キリストと御国を見上げろ」と。
全体を通して、その熱い想いがひしひしと伝わってくる。
手紙の中で繰り返される特徴的な言葉が、二つある。
- 励ましの言葉「~しようではありませんか」
- キリストの救いの優位性「~よりもすぐれた」
この二つだ。
数えてみると、いずれも14回ずつ出てくる。(新改訳2017)
長くなるが、備忘録も兼ねて、すべて書き出してみよう。
これを読むだけでも、著者の“熱”が伝わるだろう。
1.励ましの言葉「~しようではありませんか」
恐れる心を持とうではありませんか。(4:1)
安息に入るように努めようではありませんか。(4:11)
信仰の告白を堅く保とうではありませんか。(4:14)
恵みの御座に近づこうではありませんか。(4:16)
成熟を目指して進もうではありませんか。(6:1)
真心から神に近づこうではありませんか。(10:22)
しっかりと希望を告白しようではありませんか。(10:23)
互いに注意を払おうではありませんか。(10:24)
ますます励もうではありませんか。(10:25)
忍耐をもって走り続けようではありませんか。(12:1)
感謝しようではありませんか。(12:28)
神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。(12:28)
みもとに行こうではありませんか。(13:13)
絶えず神にささげようではありませんか。(13:15)
2.キリストの救いの優位性「~よりもすぐれた」
御使いよりもすぐれた方(1:4)
よりすぐれた者から祝福を受ける(7:7)
もっとすぐれた希望(7:19)
もっとすぐれた契約(7:22)
よりすぐれた契約(8:6)
はるかにすぐれた奉仕(8:6)
よりすぐれた約束(8:6)
それ以上にすぐれたいけにえ(9:23)
もっとすぐれた、いつまでも残る財産(10:34)
すぐれたいけにえ(11:4)
もっと良い故郷(11:16)
もっとすぐれたよみがえり(11:35)
もっとすぐれたもの(11:40)
アベルの血よりもすぐれたことを語る(12:24)
わたしたちもまた、この書から大いに励ましを受けよう。
キリストの救いがいかに素晴らしく、確実であるかを、胸に刻もう。
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪とを捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。(12:1-2)